憲法のことわすれないうちに…

権力者や頭のまわる人たちは、自分のほんとうの意図をぼかすために、わざと意味のはっきりしないことばをつかうことがよくあります。
「自衛隊は《国》をまもるためにある、と政府はいっている」
「政府や電力会社によれば、原発は二酸化炭素を排出しない《クリーンで安全な》エネルギー源である」
「国民保護法や個人情報保護法は《国民》を《保護》するためにある」
「最近成立した障害者自立支援法は、障害者の《自立を支援》するための法律だ」
こうした(抽象的な)言葉のウソをみやぶるためには、その分野について勉強することももちろんですが、別の日常的なことばにおきかえて、その意味をときほぐしてみることが有効です。
たとえば《国をまもる》といった場合の国とは、いったい政府組織のことをさすのか、一般の人々のことをさすのか(太平洋戦争末期の日本政府首脳の頭にあったのは前者だったようです)。
戦争とは「大量に人をころす事業」のことで、軍隊とは「人をころすための組織」です。
軍隊の存在をみとめる、ということは、なんらかの理由があれば「大量に人をころす」ことをみとめる、のとおなじ意味です。
その理由としていわれているのは、「自衛のための戦争」なら正当化されるのでは、ということでしょう。しかしほとんどすべての戦争は「自衛のため」を大義名分としておこなわれるのだから(アメリカのイラク侵攻でさえ「自衛」のためだとブッシュ大統領はいっている)、「自衛のための戦争をみとめる」ということは、「ほとんどすべての戦争をみとめる」のと同義です。

「いまの世の中で非戦平和などは非現実的だ」と自称《現実主義》者はいうでしょう。しかし現実というならば、映画のなかでダグラス・ラミス氏が指摘したように「20世紀に国家の軍隊によって2億人が虐殺された」という《現実》をなぜみないのでしょうか。もっとおそろしい現実は、その2億人のうち半分以上が「自国民」であったという事実です。つまり軍隊をもつことは、その国民にとり《安全》どころか、危険である、というラミスさんの説はたいへん説得力があります。
そのことは沖縄の人々がよくしっているでしょう。沖縄戦では島の人口の3分の1がなくなったといわれていますが、沖縄が戦場となったのは日本軍がそこにいたからだし、大日本帝国の軍隊は沖縄の人々をまもるどころか、虐殺さえしたのです。

戦争は人をころす事業で、フェアトレードの目的のひとつは人をたすけることですよね。
「人をころす」ことと「人をたすける」ことを同時に支持することが、なりたつのだろうか。
私は、なりたたないだろうとおもいます。
あらゆる戦争や紛争の背景には、経済的な問題があります。だから、貧困をなくすことを理念としているフェアトレードは、同時に平和を推進するための運動でもあると、私はおもっています。
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by asante-fair | 2006-02-12 13:57 | 日記
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